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「人はね、自分の引き出しが多くないときに怒っちゃうんだって。『そうした問題には、こうした方が良い』っていう経験が無いと、人は怒ってしまう。だから、そういう(至らない)若手がいても、『あぁ、なるほどな。俺もそうだったな』って思えて、それをちゃんと解決に導いてやることができれば、怒らないんだよ」

「だから、経験がいっぱいある人は、怒らなくなる。そうやって人は、丸くなっていくんだよ」

「自分のやり方が一つしかない人は、それからハミ出たことをやる人に『テメェ!何やってるんだ!こういう時は、こうしろ!』って自分のやり方を押しつけて、強引に自分流にもっていこうとする。でも、別のやり方があるって知っている人は、『あぁ、こういうやり方をしているのか。だったら、こうしてみろよ』って、怒らずにアドバイスできる」

「だから、自分も成長しないと、世の中は腹が立つことばかりなんだと思うよ」
  『探偵ナイトスクープ』という番組は、ときどきハッとするほど優れた企画を見せてくれる。先日は、番組でおなじみのシェフを起用したイタズラを放送したが、外見がプリンそっくりの卵豆腐を作り、プリンと偽って食べさせ感想を求めると、決まって「不味い」と答えていた。実は、出汁を利かせた最高級の料理で、卵豆腐と知って食べると、誰もが美味しいと答えるのだが、プリンと信じて食べたときには、生理的に不味く感じているような身体反応を示す。さて、ここで問題。「美味しい/不味い」は1次的な感覚のように思えるが、そうではないのだろうか。
 味覚は、甘い/塩辛い/苦いなどの1次的な要素の組み合わせに基づいて引き起こされた連鎖の全体である。芸術による感動が、作品によってもたらされる複雑な環境の連鎖全体で形作られるのと同じように、「美味しい/不味い」という判断は、味の知覚を契機とする連鎖--生理学的には中枢神経系の興奮パターンであり、心理学的には種種の観念連合となる--に依存している。したがって、プリンに見える卵豆腐を食べたときの感覚は、プリンを食べるとどうなるかという予測によって形成される準備電位の影響を受けることになり、予測と反する場合には、最高級の卵豆腐であっても不味いと感じてしまう。(7月15日)
2011 (via imeige)
隣の芝はいつだって青く見える。それはその芝を維持するコストを知らないからだ。
新しいデザインは必ず単純な形をしています。人間は考えることができなくなると、モノを複雑にして惰落していくのです。
成田亨さんの仕事 (via eto)
2007-07-23 (via gkojay) (via uessai-text) (via dj-satosato) (via tanigon) (via mxcxrxjapan) (via hsmt) (via hondax) (via salz) (via kondot) (via rarihoma) (via konishiroku, hisamichi) 2010-01-13 (via gkojay) (via obrt) (via layer13) (via noboko) (via oosawatechnica) (via tayu-tau) (via usaginobike) (via layer13) (via eadd9) (via precall) (via 908908) (via bonpworks) (via tenkao) (via shigekey) (via sunsyun) (via supernormal)
最近、とてもおいしい和食を食べる機会があった。

その和食は、「すごく手間がかかっている」のではなく、ぱっと見には「あまり手間がかかっていない」ように見える。

しかし、ものすごくおいしいのだ。まず、良い素材が選ばれている。そして、それを処理したり、味付けする「加減」がじつに精妙なのだ。その「加減」の選択、「それでいい」という判断は、きわめて高度なセンスのもとにおこなわれている。

料理に限らず、音楽でも、映画でも、デザインでも、なんでもそうだと思うのだが、いいものというのは「やりすぎ」がない。いいものを作れる人というのは、「何をやるべきか」をわかっている以上に、「何をすべきでないか」をわかっている。

何かをしないという判断は、決して無知なのではなく、「それをすべきでない」という知恵・センスに裏打ちされていることが多い。「それをやると、台無しになる」ことがわかっているのだ。

いいものを作れる人、いわゆる「達人」は、すべきことだけをやり、すべきでないことはしない。その高度なセンスや判断力は、「手を加える」部分という以上に、「手を加えない」部分に発揮されている。
夜更かしをする理由のひとつに、「今日という日に満足していないから」というのがある
ジューサーの中に金魚と水が入っていて、スイッチだけリモコンで、観客の側に置かれる。観客は誰もがそのスイッチを押すことができるようになっていて、「いつでも金魚を殺せる」という、その感覚が展示になっていた。

この展示で、実際にボタンを押せた人はたぶんいないのだろうけれど、これをたとえば、ジューサーに入れた金魚をインターネットで公開して、ネットの向こう側にいる誰もが、匿名のままそのボタンをクリックできるようにしておくと、誰かがボタンを押してしまう。多数決ルールを導入して、「ボタンを押した人が累計で10人を超えたら、ジューサーの電源が入ります」という看板を出しておくと、ボタンが押される閾値はますます下がる。

匿名ルールを廃して、たとえばTwitter のような、押した人をある程度トレースできるメディアで展示を公開しても、状況はそんなに変わらない。IDの追跡が可能になってしまうと、今度は逆に、あえて押してみせることを、一種の表現として利用しようという人が出てくるだろうから、金魚の命運は、やっぱり危ういままになってしまう。

恐らくはたぶん、「ボタンは誰でも押せます。累計で10人の人がボタンを押すとジューサーが回ります。その代わり、10人のうち1人だけ、押した人の氏名が公開されます」という但し書きが、金魚の生存確率を高めてくれる。

売名目的の人にしてみれば、自分の名前が公開されない可能性があるならば、自分の行為が無駄に終わってしまうリスクがあるし、怖いもの見たさの人は、「10人のうち1人」という理不尽さがためらいを生んで、やっぱりボタンは押せないだろうから。

完全匿名も、完全公開も、「完全」が、ルールに対する過度な信頼を生んで、常識の垣根を踏み越えて、ぎりぎりまでやる人たちを生み出す。確率論的な理不尽さを持ち込むと、ルールはもう、誰からも信用されなくなる。ルールに対する不信が自制を生んで、自制は落としどころとしての常識を生み出していく。
誰かが亡くなるとみんなネット上で、その人ために天国の門を開くのは自分であるかのように、大急ぎで誉め出す。 気の利いたことを言って悦にはいる。 そんなのはみんなくそくらえだし、読みたくもない。
<リアルであたしを知ってる人がここを見て大うけしているはずである。> こういう「ネットの私は違う私♪」みたいな釣り宣言亜種も見飽きた。勘違いしてんじゃねぇよ。まるっと全部お前だよ。

要領の良い人は、

すでにある物を自分の所へもってきて

ちょっとぐらいルールから外れても

適当に書き換えてまるで自分が作ったかのように成果を出す。


要領の悪い人は、

ゼロから自分で考えて、教科書やルールからは絶対はみ出さず

努力に努力を重ねて、結果、すでに誰かが作ったような物の劣化版を持ってくる。

どうしても自分の考えにこだわり。

基本的にパクリは悪だと思ってる。


要領の良い人はたいていコピー元が豊富なので

(同じ業界からはもってこないで、趣味や遊びから持ってくるとか)

特に法に触れるとか、悪いことをするわけでもなく

素人にはばれにくい、すばらしいパクリをしてくる。

天才になれる秘密 [http://bit.ly/aXgjFs]

(via kaoru119)

(via uinyan) (via exposition) (via kazcorp)

(via hsmt) (via appbank)

(via usuke-k) (via handa) (via iyoupapa) (via cibolack)

(via wiggleelectric)

(via plasticdreams)

2010-09-29

(via quote-over100notes-jp)

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(via s-hsmt) (via etecoo) (via ayuwringal) (via mmmmmmmmmy)

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(via acidjazzmansee)

(via tknr) (via shinoddddd) (via oharico) (via supernormal)

203  スミロドン(東日本) :2013/02/06(水) 11:19:24.31 ID:PB/OusSgO

あまり大きくない会社がある

その業界でやっていきたい本気モードの人が集まってすごい商品を作る

それを聞きつけてその業界で生きていく気まんまん&やりたいこと爆発状態の社員が集う

優秀な人材がいるのでさらにすごい商品ができる

会社がどんどん大きくなって大手になる

あの業界といったらこの会社、という風に一般人も知るようになる

有名大学の安定志向の連中が、とりあえず安定したいからって理由で志望してくる

本当にその業務に興味のある社員の割合がだんだん減っていく

過去にすがってどうにかブランドで生きていこうとする(会社の終わり)←いまここ

204  ジャパニーズボブテイル(東京都) :2013/02/06(水) 11:22:34.32 ID:liOCgAWh0

»203
よくわかるわそれ
有名大学の安定思考のやつを入れちゃダメって事だな

217  黒トラ(東京都) :2013/02/06(水) 11:39:10.11 ID:C4eXCyx60

»203
正にそれなんだろうな

職場のイギリス人に「女子力ってなに?」と聞かれたので説明したら凄く驚いていた。英語圏にも「Girl Power」という言葉があるが、Girl Powerは「男や他人に媚びず、自立した生き方を貫く若い女性」を指す言葉で、日本の女子力とは正反対の意味だそうだ。色々と考えさせられる。
bibidebabideboo:

能登デザイン室 : わく (密買東京|田んぼのマス目から)
コロコロ転がすと作文用紙みたいな枠が描かれます。

bibidebabideboo:

能登デザイン室 : わく (密買東京|田んぼのマス目から)

コロコロ転がすと作文用紙みたいな枠が描かれます。

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日本の大学生は、学校を卒業したら、就職するものだと教えこまれている。働くもんだと教えこまれている。実際は、日本の学生にかつてのような仕事の量はないというのに、大学を卒業したらみなが正社員の仕事にありつける(ありつけなくてはいけない)という期待感がある。

学生には、せっかく大学を出たのだから、仕事につけて当たり前という期待感と願望がある。 だからそういう高いプライドが、現実に打ち砕かれたときに失望も大きいのだろう。

英語も喋れないふつうの大学生がなんのスペシャリティもない文系の大学を卒業しただけで、職があると思うほうが、他の国の感覚からしたら驚きである。